北九州総合支社 田川営業オフィス
オフィス長(機関担当)
※取材当時
2009年入社 会計ファイナンス学部卒
同年代には負けたくない。
絶対に。
昔の私はごく普通の学生で、特に何かが秀でているわけでもなかった。学歴も良くないですし、むしろ、親に迷惑ばかりかけて来たと思う。しかし、母親が私のことを知る近所の方から「大企業への就職は難しいかもしれない」と言われたと聞き、そこから意識が大きく変わった。あの時の母の表情は忘れられない。その時から「今後、このようなことだけは言われないようにしよう」「親に嫌な思いをさせてはいけない」と決めて、就職したら同年代には絶対に負けたくないし、圧倒的なスピードで出世してやると自分に誓った。
多くの機関経営職候補生Ⅰ期は、なかなか結果が出せなくて悩む。当然、私も同じようにもがき苦しんだ。しかし、圧倒的成長を果たすために、挫折したままではいられない。成長のために、自分にできることがあるなら全てやろうという思いで、いくつもの壁を乗り越えてきた。
愛用の手帳。生涯設計デザイナーから上がってくる細かい報告もしっかり書き留めて毎日のコミュニケーションに活かしていく。
苦い経験があってこそ、新たな方法が生み出せた。
私が初めてオフィス長になった時の想い。それは、機関経営職コースの5年間で自分のノウハウを伝えて、全員がこれまで以上の結果を出せるようにすること。そして、オフィス全体に活気を与えて、一人ひとりの待遇も良くしていくことだ。しかし、その熱意が仇となり、細かいところまで気になって指導してしまい、「あなたにはついていけない」と離れていく生涯設計デザイナーが表れ始めた。気付けば10名以上の退職者を出してしまい、ついには「その熱意は本末転倒だ」と言われるほどオフィスをボロボロにしてしまった苦い過去がある。今振り返ると、自分がオフィスのことを全てやらなければいけないと勘違いしていただけ。そんな状況を見て、当時の支配人からいただいたアドバイスが「周りに頼り、素直な自分を出すこと」だった。それを少しずつ実践していくと、確実に効果が表れてきた。自分でも意外だったが、結果として出ている以上、その方法は間違っていない。その考えをもとに確立されていったのが、リーダー中心のオフィス経営だ。
給与明細とともに全員へ渡す手紙。良かったことも課題となることも、全て自分の本音の言葉で伝えている。
過去の失敗を活かし、リーダー陣の育成に成功。
「リーダー中心の経営」に手応えを感じ始めていた矢先、異動の辞令が下る。次のオフィスでは、今以上に大きな結果を残したい。そう考えて、着任時の挨拶で皆にこう宣言した。
「私はこのオフィスで、総合優等(※)を取るつもりです」。
この言葉を本気で受け止めた者は、ほとんどいなかったように思う。というのも、このオフィスで感じたのは、良くも悪くものんびりとした空気だ。また当時の生涯設計デザイナーたちも、人柄が良く真面目だったが、どこかストイックさに欠けているような印象もあった。この空気のままでは、総合優等は取れない。赴任後1年目の目標は、まずリーダーを育成することを最優先にした。人を信じ、私の素直な想いを伝えて、オフィス経営を自分ごと化して取組んでもらう。その甲斐あって、2年目からはリーダーを基軸とした運営方針が見えてきた。そして今では、リーダーを中心に全員が一丸となってオフィス運営ができている。過去の一人よがりな私はもういない。組織全体で仕組みづくりを考えて、結果を出し、ついには念願の総合優等を獲得できた。
(※)総合優等とは、営業オフィス経営における様々な指標を全項目達成することによって獲得できる、営業オフィス経営における最高位の賞である。
当たり前の話だが、生涯設計デザイナーはここに働きに来ている。保険販売という仕事を通して、その対価をいただき、生活していく。しかし、生涯設計デザイナーには、その先を見てほしいと考えている。たくさんのお客さまとの出会い。営業オフィスの仲間との出会い。その出会いを通して、人間性を高めてほしいと思うのだ。そもそも、私が機関経営職を志望したのは、面接の際にお会いした先輩方に惹かれたから。「人間力」とでも言えばいいのだろうか。率直に、こんな人になりたいと思った。どうして、この人はこんなに魅力的なのだろうと考えたとき、それはきっと、出会う人の数が桁違いに多く、一人ひとりとの関係性が桁違いに深いからなのだろうと思った。あれから10年。私はこの仕事を通してたくさんの視点に触れることができた。ものの見方も変わった。その実感があるからこそ、生涯設計デザイナーにはここで働くことを通して、人間力を高めてほしいと思っている。そのために、自分に何ができるのか。私の試行錯誤はこれからも続く。